心と向き合って🌌
問題の 大小 に 関わらず
答えを 出したのは 自分
どんな 言い訳しようと
どんな 理由を つけようと
最終的に 決めたのは 自分
結局 チョイスしたのは 自分
30代の頃
友は 悩んでいた
旦那が 浮気していると 言う
別れたいと 言う
毎日のように 電話が きた
ある日
私は 言った
「ミーちゃんは 離婚できないよ」
この 私の 言葉に対して
泣きながら 友は 叫んだ
「なんでよ 私は できなくて プーは できるの 私は 弱いから できないって 言うの」
「違うよ ミーちゃん そこの 場所に 踏み止まるのも 勇気なんだよ 離婚できるのが 強さじゃないよ」
その頃 私の 離婚問題など サッパリ 無かったのに
友は なにがしらの 問題が おきれば きっと 私は 離婚すると 思っていたのだろう
旦那の 浮気という 経験が 無いので 大きな事は 言えないが
多分 私は 浮気問題では 離婚は 考えないと 思う
もちろん いい気は しない
ただ
相手から 頭下げられ 別れてくれ と 言われれば
それは 仕方がない
それは どうにもならない
人の 心は 縛れないから
友は 今も
太ったままで 元気に
旦那様と 暮らしている
毎日 フン! と 思う事も あるだろう
邪魔くさい とも 思うだろう
だが
それが 貴女が 選んだ道
私が 止めたからでもなく
貴女が 本当は そこに 居たかっただけ
別れる事を 望まなかっただけ
そして
私は 女性問題では 無く
生き方の 問題で
旦那と 別れた
その頃
仲の良い 友達が 電話を よこす
何故か
言う事が 同じ
プー もう少し 離婚届け 出すの 待ってもらえない
パパは もう少し 時間が 必要だと 思うの
そう
皆んな 旦那の事 パパ と呼んでいた
私の事は
心配せず
旦那の 気持ちの 整理を 案じてた
私は 再婚など 考えてもいなかったので
5年待ち
離婚届けを 提出した
別居した当時は 必死だった
生きていくのに 必死だった
2年が 過ぎて
ようやく 桜が 咲いてる と
風景が 目に 映った
売店から 貰った ダンボールが
テーブルになり
衣装ケースに なった
そう
私が チョイスした 道
誰に 不満持つ 必要もない
自分で 選んだ
私の 生き方
🍀 🍀 🍀